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【2024/05/02 21:23 】 |
母校を訪ねて


母校の熊野高校を訪ねた。
 
 卒業してから初めての訪問だ。同窓の名簿を確認するための訪問だったが、そこでなんとも驚くことがあった。駐車場から職員室まで歩いてゆく間、すれ違った生徒が「こんにちは」と挨拶してくれた。丁寧な生徒がいるんだな、とまあそれくらいに考えながら校舎に入った。
 
 するとどうだろう、行き交う生徒のほとんどが前からも、横からも、後ろからも「こんにちは」「こんにちは」と声をかけてくるではないか。それに応えて、こちらも歩きながら「こんにちは」を連発することになった。挨拶を返しながら奇妙な気分になった。
 
 こんなに礼儀正しい人々を一般の世間では見かけることはない。学校という限られた空間だからできることだろう。それにしてもだ、小学校から大学までの自分をふり返って、学校のなかでこんな挨拶をした記憶がない。
 
 大人でも子どもでも礼儀正しいのはいいことだ。だけど、校外でみんながこんな挨拶をしているとは思えない。判で押したように連発される挨拶に、かえって違和感を覚えた。いったい、ここまで子どもたちを管理する必要があるんだろうか。
 
校庭に緑の多いことで知られる熊野高校。新緑の香りに満ちた校庭を歩きながら、自由に過ごした遠い日を思った。

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【2011/05/14 18:48 】 | 未選択 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
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有り難いご意見
挨拶がすき
確かに、管理されすぎているのは問題ですね。でも私は幼い頃から挨拶が大好きでした。簡単な一言で一期一会が一生の付き合いになることもありました。だから無言ですれ違うのは勿体無いなあ、と考えてしまうのです。
勿論、考え方は自由です。

和歌山には自然の緑やせせらぎが存在します。それは人間という生き物にとっては不可欠な「空白」です。「空白」の中で、人は考えに耽り、心の余裕を取り戻すことができると思います。
残念ながら東京都内にはそんな「空白」が殆どありません。作られた「自然」ではカバーしきれない窮屈さを感じます。

そんなストレスを癒すために、都心の人々はわざわざ高い交通費を支払って、登山や海辺に出かけるのだと思います。

挨拶はコミュニケーションの入口としてとても有効で一番簡単な手段です。どんなに強がっていても、人は支えあってしか生きられない、とてもナイーブな生き物だと思います。心の交流は、人生を充実させます。ストレス発散にもなります。

だから私はこれからも挨拶を続けます。自分のために。人のために。
【2011/05/16 22:21】| | いずすみ #7f3e941267 [ 編集 ]


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