
熊野川である。
311号線を南下しながら、なんで和歌山と三重の県境をこの熊野川で引いたんだろうかと、ふと思った。明治維新のあと、それまでの藩が廃止されて県になったと教えられたが、なぜ和歌山と三重の境目が熊野川になったのかは、どの先生も教えてくれなかった。地元のことなのに、誰も教えてくれなかったなあ・・・
明治の半ばに和歌山県で初めてのキリスト教会が新宮市に建てられた。新宮というところは、木材の取引など江戸との往来が県下でいちばん頻繁な土地柄だった。それに新宮藩の水野家は江戸家老として江戸に出向いていたし、キリスト教に限らず新しいものが入ってきやすかったんだろう。
大石余平が新宮のキリスト教の中心だったから、弟の大石誠之助、余平の長男の西村伊作などもその影響を受けて育った。余平はというと、妹が大阪のキリスト教関係の学校に行った関係で、この妹を通じてキリスト教に近づいたといわれている。新宮に社会主義の思想が入ってきたのもこうした開明的な風土と無縁ではないだろう。
もう100年以上も前の話だ。余平や誠之助や伊作たちはこの熊野川の流れを上ったり下ったりしながら流域の人々に理想を語りかけたのだろうと、そんなことを想いながら春の陽に映(は)えてキラキラ光る川面をながめた。
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