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【2024/03/29 06:44 】 |
松本清張という作家


 いくつかの作品を読んですぐにこの作家が気にいった。

 などというと偉そうに聞こえるが、ほんとに気にいったのである。何がそんなに気にいったのか。俗っぽくいうとこの人は40歳を過ぎてから文壇にデビューした「遅出」の作家だ。彼は10代の頃から文学に没頭していたが、「文学などやっていられない生活で一家が路頭に迷いそうだ。借金取りにせめられる父を見て決心せずにはいられなかった」と、以後20年の長きにわたって文学を捨て家計のための労働に明け暮れるのである。この底辺での経験が清張の文学の底流にある。

 戦後、「国民的な作家」と呼べる人が何人かいるが、松本清張と司馬遼太郎の2人はそこに入るだろう。どちらも大衆的な作品を生みだしたのだが、この二人の作風はまるで違う。司馬の作品は文学を生業(なりわい)とする匂いがする。清張の作品にはそれが感じられない、と思うのは特別な見方だろうか。

 「文学を生業とする匂い」というのは職人技とでもいうのか、物語を創ってゆく知的作業のことである。だが、清張の作品にはそれがない。そこにあるのは時代のもつ矛盾と真剣に向き合い、恵まれず弱い人間がそれでも前に進もうと格闘する姿だ。清張は真剣で、司馬が真剣でないというのではない。

 清張の作品から見えてくるのは、矛盾の多いこの社会の、しかも底辺にあって失望の淵に追いやられてなお希望を求める人間の姿である。柔な文士の多いなかで文学に対するその構え方がすばらしいと思うのだ。(写真・思いがけない雪の朝) 


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【2011/01/31 17:34 】 | 未選択 | 有り難いご意見(1) | トラックバック()
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有り難いご意見
私も好き。
松本清張の背景を知りませんでした。彼の本をつい手に取ってしまう訳を、貴方の文章の中に発見しました。『....矛盾の多いこの社会の、しかも底辺にあって失望の淵に追いやられてなお希望を求める人間の姿.....』
偶然ですが、今、枕元に置いて読んでいるのは、清張通史数冊と日本史七つの謎。
南紀州からの発信を楽しみにします。
【2011/02/04 13:43】| | Montana #5ad77d9ec8 [ 編集 ]


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