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【2024/05/02 13:19 】 |
平塚 明(はる)


  平塚 明(はる)。
 
 明治時代。裕福な家庭に生まれ、成績もよく負けん気の強い少女は、長ずるにつれて多感な女性になっていった。保守的な父親のもとで、それへの反発からか彼女のこの性質はさらに強化されていったのだろう。
 
 「塩原事件」は世に有名だが、それより以前の「接吻事件」のほうが面白い。女子大を出た彼女は禅の修業をつづけていた。通っていた寺の若い僧に、明は衝動的に接吻をしてしまう。いまの世なら珍しくもないが、明治時代のことだ。若い僧は明のこの行為に身も世もなく舞い上がってしまったという。
 
 この「接吻事件」で見せた明の人間性は、次の「塩原事件」でさらに踏み込んだ姿をとる。妻子ある作家・森田草平との逃避行から情死未遂がそれだ。この事件は大スキャンダルとなり、森田の師であった夏目漱石が乗り出し二人を結婚させ、森田に男としての「責任」をとらせようとした。
 
 が、明はこれを拒否。なぜ結婚なのか。自分でしたことの責任くらい自分でとる。明は森田に別れを告げる。その後、筆名を「雷鳥」とした明はさまざまな試行錯誤をくり返すが、この戦前の若き日の明の試行錯誤は戦後の活動で花ひらく。
 
 この5月で明が亡くなって40年になる。 「元始、女性は太陽であった」 - 明の思想はいまも生きつづけている。
 
 

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【2011/05/01 15:10 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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