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子を背負い 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな 啄木は釧路で芸者遊びに明け暮れていた。この試練を乗りこえてこそ真の夫婦になれる・・・と手紙を送る妻の節子。世間を知らず、しかし気位だけは高く、世に出ることしか頭になかった啄木。それを支えた妻の節子。ああ、哀しきは明治の女というべきか。 啄木は、日記は燃やせと言い残して死んだ。が、節子はそれを後世に残した。節子には読むに耐えない内容の日記だが、のちのちの研究者に彼の才能を評価してもらおうとの気持ちが働いたのだろう。愛を信じるとか、口にするのはたやすいが、こんなことを出来る人はそういない。 澤地久枝さんが金田一京介の『石川啄木』に、友人としての気づかいがあって手心が加えられていると書いている。それはそうなんだろうけど、「石川君」と呼びかけるように書かれた文章には味わいがある。澤地さんは、言葉の奥にある真実を見ることに長けている。 日記では妻に詫びながら、現実にはねぎらいの一言もかけなかった夫・啄木。それが明治の男なんだという人もいる。それはともかく、あんなに文才には長けていても実生活では器用という訳にはいかなかったんだと思う。啄木と節子に会ってみたい。 PR |
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