
いまから25年前のことだ。
5月1日のメーデーが近づいていた。ウクライナ地方のチェルノブイリ。ここでだれも予想していなかった原子力発電所の事故が起きた。4号炉は制御が不能になり炉心が融解、大爆発を起こした。この爆発により大気中に推定10トン前後の放射能が放出されたといわれている。広島に投下された原子爆弾による放出量の500倍だといわれ、だれが名づけたのか「核戦争」。
4号炉で炉心溶融(メルトダウン)が発生し爆発。 ソ連政府の対応の遅れも相まって被害が広範囲におよび歴史上最悪の原子力事故となった。 ソ連政府は住民がパニックになるのを恐れ事故を公表しなかった。また、避難措置なども行われなかったため、住民は大変な量の放射線をまともに浴びることになった。
しかし、遠くはなれたスウェーデンでこの事故が原因の放射性物質が検出され、ソ連も事故を公表した。日本でも雨水から放射性物質が確認された。
その後、爆発した4号炉はコンクリートで封じ込められたが、そのためにのべ80万人以上の労働者が動員された。 高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、16万人が移住を余儀なくされた。それでも、生まれた地を離れるのを望まなかった老人などの住民は移住せずに生活を続けた。 放射能による汚染はウクライナだけでなく隣のベラルーシやロシアにも拡大した。
(写真はチェルノブイリの遊園地跡。いまもこの地に人は住めない)
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