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前からメル友の中国青年が留学で日本に来ている。
彼女は20歳代の半ば。中国の地方の町で生まれ、大学で日本語をマスターして北京の企業で働いていた。その頃から日本に行ってもっと日本語を勉強したいとよくメールに書いていた。しばらくメールが途切れていたが、久しぶりに先日メールがあり、いま東京の大学にいるとのことである。大学での勉強のほかセブイレブンでバイトを始めたとのこと。来日して3ヶ月で日本の生活には慣れたが、日本語の微妙な意味が分からず心細いときがあると書いている。 その彼女が日本の印象について書いている。日本に来てさまざまな人に出会った。大学の先生はまだ若いのに配慮のある人で優しいという。アルバイト先の働く仲間たちも親切にしてくれると。でも、なかなか友達というレベルにはなれないともいう。自分が大学生より年上なためか、自分の性格が内向的なためか、あるいは自分の日本語レベルがまだまだ不足しているためか、分からないと悩んでいた。 まわりの人や世の中の役に立つ人間になりたいと彼女はよくメールに書いていた。日本にきて日本人と交流し、経験を積んで中国に戻って彼女がどんな仕事をするのかを注目している。再来年には結婚の予定とも書いていたが、生きた資本主義の社会を経験し、コンビニで働きながら大学で学ぶ彼女の未来が社会主義をめざす中国の未来とともに明るいものであってほしいと心から思う。 |
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ここを通るといつも、かつての炭鉱で働いていた人々や家族の声が聞こえてきそうだ。 熊野川町宮井(現新宮市)は、瀞峡から流れる北山川と熊野川の合流点であり、下流の志古からのジェット船が上り下りしている。この宮井周辺にはいくつもの炭鉱の跡があるのだ。和歌山県側に志古、松沢、明治などの炭鉱があり、三重県側に小船炭鉱もあった。 およそ50年ほど前、これらの炭鉱を舞台に労働争議が起こり、労働者たちがストライキでたたかったことがあった。これらの争議はそのころ全国に広がっていた警職法や勤評に反対するたたかいなどとむすび、安保条約反対のたたかいに発展した。 しかし、ほどなくしてアメリカのエネルギー支配の手が日本に伸び、石炭産業の斜陽化がつくられ国中で多くの炭鉱労働者が「合理化」の犠牲となり職を失っていった。 和歌山県側から北山川をこえ三重県熊野市にすすむ道は、つづら折の蛇行をくり返す山道ではあるが、いまではほとんど舗装されている。そこを通るとき、いまはもう故人となったがそれらのたたかいに参加した幾人かの友人たちのことを思い出す。北山川の清流や山々の静かさを見ながら、その友人たちについ語りかけたくなるのである。 |
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