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【2024/04/20 17:49 】 |
草蛙の雨にあひて・・・


  // 此山路に石屑多し。これを くづれ沓といふ。・・・此山の石 いと弱くかけやすくて 草蛙の雨にあひてくづれるようになればなりといふ  //   伊達千広(陸奥宗光の父)の「三つの山踏」のなかの一節だ。 古来、熊野の山々の岩は「草蛙の雨に」もくづれるほどに弱かった。

 //  熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば道遠し すぐれて山きびし 馬にて参らば苦行ならず 空より参らむ 羽とべ若王子 //  ( 梁塵秘抄 ) 
 だけど、熊野の山はさほど高くない。おそらく2000メートルを超える山はないと思う。では、なぜに「山きびし」なのか?

 高い山々の連なりを山脈という。だから紀伊半島の山々を「紀伊山脈」と呼ぶかといえば、そうは呼ばずに「紀伊山地」と呼ばれている。もちろん、果無山脈などと呼ばれる小さな山脈はいくつもある。そして、小さな山脈たちは連なって走らず、思い思いの方向に走っている。要するに、複雑な山々がたくさんあるのだ。だから昔から「熊野三千六百峰」などといわれる。

 「山きびし」とはなぜなのか? それは複雑な地形、傾斜のその角度からきているのだ。ゆるやかな傾斜の山は熊野では約1割ほどで、30度~40度以上の傾斜角度の山々が圧倒的に多い。40度の傾斜は半端じゃない。普通には歩けない。そのうえに岩が弱いのだから熊野のへ路は古くから苦行だったし、いまなおその山々は気軽には入れず神秘な魅力に彩られている。
 
 
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【2011/06/09 21:54 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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