忍者ブログ
  • 2024.03«
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • » 2024.05
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/04/19 18:23 】 |
新宮と弁慶

 
 紀伊田辺駅前に弁慶の像が建っている。

 待ち合わせの場所にもなっているが、そもそもなんで田辺駅に弁慶なのか? 弁慶なら新宮駅ではないのか。

 弁慶のはなしは何ぶんにも大昔のことだ。京都五条の橋の上・・・、だけど、五条の橋は弁慶の時代にはまだない。五条には「渡し舟」があっただけだ。

 「平家物語」では、弁慶は「紀州熊野新宮の別当湛増(べっとうたんぞう)の子」としている。別当というから権力者だ。新宮、本宮、那智の三大社を統括しており、その富はすごいものだった。

 「義経記(ぎけいき)」では、熊野にやって来た二位大納言の姫君を別当が無理やりわがものにした。屋敷に立派な産屋を建て、そこで弁慶が生まれたとある。「義経記」は小説には違いないが史実に忠実な作品であるから、多分、実際に近い話だろうと思う。

 だから弁慶なら新宮だと思うのだが、田辺では「弁慶祭り」もあり「弁慶踊り」もある。観光の「売り」になっているのだ。新宮ももっとがんばってほしい。新宮にはがんばってほしいことが他にもあるが、それはまたにする。



PR
【2011/06/10 18:14 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
<<富田砥石(といし)のはなし | ホーム | 草蛙の雨にあひて・・・>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿















虎カムバック
トラックバックURL

前ページ | ホーム | 次ページ

忍者ブログ [PR]